深い悲しみとあきらめ 母に愛されなくても幸せになっていい

悲しみとは
 
大切な人やものを失ったときに
それを乗り越えるために感じる感情
 
 
人生、半世紀以上生きていると
悲しいことも、いろいろありました
 
 
その中でも最も深い悲しみは
母が私を愛していない
という現実に向かい合ったときに感じた
悲しみでした
 
 
3才のとき私を捨てて再婚した母
 
 
それ以来
母が私に会いに来ることは
一度もありませんでした
 
 
でも心の中では
こんなふうに思っていたんです
 
 
お母さんは遠く離れても
いつも私のことを思ってくれている
 
本当は
私のことを愛してくれている
 
会いに来れないのは
きっと何か事情があるんだ
 
 
そして
母に会えない自分を憐れんで
ひとりシクシク泣いていました
 
そして
自分の存在価値を
母に委ねていました
 
 
 
でも
半世紀ぶりに母に会って分かってしまった
 
 
母は私を捨てたことを
後悔も反省もしていない
 
 
母にとって私はいらない存在だった
母は私を愛していなかった
 
 
だから一度も会いに来なかったのです
 
 
 
この事実に向かい合ったとき感じた悲しみは
肺の中から巨大な塊りが出たような
 
ドッカーン
 
という感じの悲しみでした
 

 
そして、この塊のような悲しみを感じたあと
心の中からこんな言葉が出てきました
 
 
お母さん、さようなら
 
 
この言葉には
正直焦りました
 
 
えっ、ホントにいいの?
 
 
でも、そのあと
私の中に
いい意味でのあきらめが生まれました
 
 
しょうがない
 
 
そして
 
 
お母さんにとって
いらない存在でも
私は幸せになっていい
 
お母さんが愛していなくても
私は幸せになっていい
 
 
そう思えるようになりました
 
 
世界にはわが子を愛せない母親が存在します
 
 
でも、もし
そういう母親のもとに生まれたとしても
あなたは幸せになって良いのです
 
 
写真は
鎌倉にある報国寺のお庭です